こんにちは、好酸球性副鼻腔炎のデリコです。
最近、あるサイトの記事を読んでいたんですが、
「余計な検査は受けなくていい。病気を作るだけだから。」
という話でした。
ちょうど最近、同じアメリカですが他州に住む友人が、子宮がん検査で再検査になり
その間、気持ちも落ち込み、さまざまな悪いことを考えて心配になってしまったそうです。
ところが、検査をしてみたら、特に心配な異常はなし、という結果。
結果がでたら、なんとなく違和感を感じていた下腹部の圧迫感や
だるさなんかが、一気に気にならなくなったそうです(笑
「本当に病は気からですね~~w」なんて笑ってましたが
その間、数週間ですよ。
それを聞いて、その間の身体や心にかかったストレスで病気になるやん!!
・・・って思ってしまいました。
友人の話もそうですが、もともと検診の意味をあまり見出せずにいた私だったので
この記事を読んで激しく納得してしまいました(笑
よくよく考えてみれば、定期健診も、人間ドッグも、
この世が病院と製薬会社が繋がっていると考えたら、
彼らの手でうまく操作されているというのもあながち嘘じゃないなと
私は思っています。
病気がなくなったらどちらも困る立場にいますから
なくならないような仕組みをしっかり作ってしまった。
そういう風潮をしっかり国民に定着させてしまったのは
ある意味すごいことですよね。
洗脳に近いと思います。
病院へ検査にいって、変な菌に感染して病気になる可能性だって
ゼロではありません。
私の周りでも70歳を過ぎたってぴんぴんしている友人は、病院行きませんもん。
一度、日本でアレルギー科へ彼女に車で連れて行ってもらったんですが
彼女「病院は嫌いだから」と車の中で待ってました(笑
そのくらい徹底している。
それでも、元気なんですから。
私もそっち側の人間でいたいな~と常々思っています。
下手に早く発見されてしまうがために、放っておいたら余計な治療や
手術や投薬をしないでご機嫌にすごせた期間までも
治療というある意味心地よくはないことをやらなくてはいけないわけです。
両親がガンで他界してしまった私ですが、なんなら末期で見つかったほうが
諦めがついて余計な治療をやらずに済むからいいかも、くらいに今は思っています。
病院通い、入院生活の晩年なんて嫌ですよね。
病気になりにくい、食事、運動、などで健康を維持して、
自然と老い、自然と老衰で土へ帰るのが理想だな~と思います。
父とはよく
「死ぬならぽっくりがいいな!」と話していましたが(どんな親子でしょうw)
なかなか今の時代そうは行きません。
半身不随になっても死ねない人もいます。
脳死になっても生かされる人もいます。
それはそれで、その人たちに関わる人のこともあるので
一概に何が正しく、何が正しくないということではないですが
生きて誰かとコミュニケーションできてこそ私の生きる意味でもあります。
また死に関しては、本人の意思を尊重するべきかな、と。
生前にしっかり意思を表明しておくというのは必要ですよね。
それから、予防接種も賛否が別れるところ。
我が家は、インフルエンザの予防接種はしませんが
私がアメリカにきて10年以上。
インフルエンザにもかかったことがありません。
これまで生きてきてまだ一度もです。
息子は学校へ、夫は会社へ行くのでかかってしまうかもしれませんが
相当苦しいといわれる症状が、どの程度なのか経験がないのでできることですかね。
怖いもの知らずっていわれてしまうのでしょうか。
喘息もよくなった今、高熱くらい耐えられそうな気がしてます(苦笑
でも、実際にはなってみないとわかりませんけどね・・・^^;
この話は長くなるのでまた別の機会にすることにしましょう。
ただ、今回は私がぼやっと考えていることをちゃんとした予防学のドクターなどが
語ってくれていたのが心強いです。
石原先生もそうですが、一般の人間に分かりやすいものも多いし
いろんな本が出ていますので、そういったものも今後少しずつ
私が読んだ後にご紹介していきますね。
今の医療業界には私にとっては疑問がいっぱいです。
なので、私がまたこういう考えを持つようになったのにも
もちろん理由はありますので、それも追々お話していきますね~。^^
では、今日はこの辺で。^^