こんにちは、デリコです。^^
2年前に告知された後、子宮頸がんステージ3の闘病記を読んでみたいと思いあちこちさまよったせいか、アメブロなどでほかの記事を読んでいても、闘病記がふと目につくと読んでしまうのです(苦笑
日本はステージが1や2だと、すぐに子宮全摘出の手術になり、その後、放射線と抗がん剤の追加治療を行うのが標準治療のようです。
私がやった放射線治療の内部照射というのが、子宮を手術で取ってしまった方は、やる必要ないですものね。
子宮頸がんステージ3の闘病記は、なかなかお目にかかれないのが現状です。
そうは言っても、そんな私も、若干、通常の治療とは違うと言わなければなりません。
子宮頸がんステージ3でリンパの腫れがあり手術はできず、追加の抗がん剤治療もなし
実は、私はこの放射線治療+抗がん剤(シスプラチン)の平行治療を最後に、一切追加の治療を受けていません。
これは自分で決断したというよりも、不思議な力が働いてなのかわかりませんが「できなかった」のです。
もちろん、抗がん剤に対して否定的だった私は当時「大喜び」でしたが、夫やドクターはとても残念そうでした(苦笑
そして、結果的に「できなくて本当に良かった」と心から今思っています。
その不思議な話をしていきますね。見えない力や、スピリチュアルが好きな方は先へお進みください。
最初の標準治療が終わってもドクターからは完全に終わったという話は出なかった
放射線治療の内部照射が終わった後、まだ数回(3回くらい)通いの治療が残っていたため、最後それに通って終了しました。
結局、その後は一度も放射線科のドクターには会えていなくて、2回目の入院治療の際に、ヘロヘロ状態でお礼を言ったのが最後になってしまいました。
私は何度も放射線科のドクターに、治療結果が良かったのであれば、これで最後ですよね? と聞いてもいつもはぐらかされ、最後まで答えは聞けませんでした。(夫には言っていたかもしれません)
放射線科には平日毎日通って、毎日同じ放射線技師のメンバーが迎えてくれて、当然顔見知りになるので、最後の治療の際には
二度とここには戻ってこないけれど、本当にありがとう。一生忘れないわ。
と、中でもとりわけ明るく接してくれた私よりも少し年上くらいの女性のスタッフに告げました。
抗がん剤治療に一度も顔を出さなかった主治医
通常、アメリカでも、ステージ1や2であれば、手術になるケースがほとんどなので、主治医がオペをやってくれたはずですが、私の場合は、放射線科に回すしかない患者でした。
なので、彼女(私の主治医は女医さんです)がやることは、放射線治療は、当然放射線科へ丸投げですが、抗がん剤治療に関しては、彼女の管理の元、受けるわけです。
週に一回、抗がん剤治療のお部屋へ6回通いました。初日だけ夫が一緒に付き添ってくれました(確か2019年の大晦日でしたね)
詳しいことはここでは割愛しますが、私の血管は細く、なかなかうまく点滴の針が設置できないことがよくありました。
抗がん剤という劇薬(毒薬)を点滴するのですから、漏れたりすることは間違っても許されません。
だから、一度目にナースが失敗すると、別のナースがきて二回目、それでもダメな場合は、点滴の設置の専門家が来ます。
この専門部隊がやってきたことが、2度ありました(汗
- 1度目はナースのミスで、点滴の針を入れたところが痛くなって漏れる寸前になったから。危なかったですよ。結構大騒ぎになります(汗
- 二度目は、ナース二人とも確保できず。
そんな私でしたが、この抗がん剤治療の6回の間、さすがに初日は主治医が来てくれるのかと思ったら、そんなことはなく、結局最後まで彼女が顔を見せることはありませんでした。
血液検査で問題があれば、登場したのかもしれませんが、それもなかったですしね。
実は、主治医のオフィスとがんセンターは、ビルは違いますが目と鼻の先で、歩いてこられる場所です。まぁ忙しいのでしょう。
合理的なのはいいけれど、こんな毒薬を入れるのも、システマチックに処理するんだな、となんとも言えない気持ちになりましたよね。
おかげさまで
主治医に頼りきりになることがなく、自分のカラダですから自分で観察し、自分でなんでも決めよう
と思うことができました。
一度目の標準治療で子宮内はすっかりきれいになったのに次の治療が待っていた!
日本でも手術の後、転移や再発防止のための放射線治療+抗がん剤治療というのがあると思います。ステージ2の方でもきっとおやりになったはず。
パクリタキセルとカルボプラチンという二種の抗がん剤を点滴するものです。
ステージ2のつもりが、手術してみたらステージ3になった、とか言われてやった方もいらっしゃるはずです。
そして、もともとステージ3だった私は、この次にガチの抗がん剤治療が待っていました。やはり再発防止、転移の予防的観点からの治療でした。
放射線治療がメインの抗がん剤治療は、補足的な役割でやったものだったので、シスプラチンという昔からある抗がん剤を濃度を下げて点滴したみたいです。
髪も抜けましたが、かつらを要するほどではなく、そのうち抜け毛も止まり、元に戻りました。
現在は前よりは少し少なくなったけれど、元々超剛毛で髪量は異常に多かったので、今はちょうどよい感じです(笑 薄毛でもありません。
2月の中旬に、最初の治療がすべて終わり、子宮がキレイさっぱり治った状況の中、3月の主治医の診察へ行くと、次の治療の話がすぐに出てきました。
そっか、次の治療があるんだ。抗がん剤やらないといけないのか~
と、やだなと思いながらも、放射線治療との併用じゃない分、ラクなのかな? と感覚も少し麻痺していて(汗 素直に受けるつもりでいました。
夫もドクターもこれを受けておけば安心だから、というような感じでしたしね。
抗がん剤治療は嫌だと思っていた気持ちが神様に届いたのか?いろんな偶然が重なった
実は、3月の診察で、次の抗がん剤の説明がありましたが、ちょうど2019年末から、コロナが騒ぎ初めていました。
私が、がん宣告を受けてから治療をする間に、コロナも同じように広まっていきました。私自身は治療で動けなくなってましたが、世間もみんなが自由に動けなくなっていったのです。
そんな中でしたから、背骨の骨折の手術後の経過観察もドクターとビデオ電話で診察してもらってました。
抗がん剤の治療についての説明は、主治医のオフィスへ行きましたが、その後から病院へ行く方がリスクだよね、という状況になっていきました。
まだがん治療後間もなかった私は、病院へ行くのは嫌だな、と思っていました。
そんな時に、ちょうど友人のナースが、私が抗がん剤を受けに行っていたビルでパートで働き始めたんです。
彼女が連絡してくれたのは、ちょうどそんな時で
デリコが抗がん剤治療する階にも、コロナ患者受け入れの部屋が作られてるよ。来ない方がいい。
と教えてくれたんです。とはいえ、
来ない方がいいって言われても~~~、治療やめれるかな?
って感じではあったんですけどね。
ただ、ますます、抗がん剤治療を受けるのやだな~と思っていました。
そしてどうしても、自分が抗がん剤の副作用で苦しむ様子が想像できずにいました。髪を失った自分も全く考えられなかったんです。
本当に、私、抗がん剤治療うけなくちゃいけないのだろうか?
そんな風に心ではずっと思っていました。
そして、あと1週間で抗がん剤治療の予定している日程になろうというタイミングで、主治医のオフィスから連絡が入ります。
残念ながら・・・予定していた治療ができなくなりました・・・
「は?」私の頭の中ははてなマークでしたが、ひとまず抗がん剤治療がキャンセルになったことは私でも聞き取れました。
よくわからないので、コロナ禍で在宅ワークだった夫がいたので夫に電話を替わってもらい、詳しく説明してもらいました。
後から夫に聞いたら、理由は「我が家の保険会社がその治療は適用できないので支払いをしない」と言ってきたそう。
そんなことで、治療が中止になっちゃうんだ・・・でも、私だけは心の中というか実際に(笑 ガッツポーズしましたよね。
結局、予定していた抗がん剤治療は延期ではなく中止になった
主治医は「このタイミングでやらないと意味がない」そう言ってました。
だから、延期になるわけでもなく「もうやらない」という判断です。後は私がどうしてもやりたかったら自費でやるしかなかったのです。
さすがの夫もこれには仕方ないとなり、保険会社に対して文句をタラタラ言っていました。
そんな保険会社がカバーしないからってやらないで良い治療なんてどうなんだ?
また
私だけは、嬉しくて保険会社に感謝でしたし、どうして保険会社の許可が下りなかったのか? に疑問が湧きました。
このことがあったおかげで、私は自分の今おかれている状況、治療のこと、いろんなことを徹底的に調べることになったのです。
この話はまた長くなるので、別の機会にお話しますね。
まとめ:子宮頸がんステージ3でも手術と追加の抗がん剤治療やってません
治療から2年の現時点まで、最初、腹部のリンパ節が腫れているのがCTスキャンで見つかって、ちょっと心配な時期もありましたが、これも縮小して心配ない状態になりました。
予防的にやるはずだった抗がん剤治療、やらなくても私はこうして今も元気です。
そして時間を与えられたおかげで、がん告知された時には、あえて読まなかった「近藤誠」先生の書籍も、片っ端から読んで勉強させていただきました。
抗がん剤はやらない方がいいという近藤先生のお話は私自身はとても信頼していたので、読んだら治療をすべて拒否していた可能性もありました。
あの時は、標準治療はした方がいいだろうという自分の決断を信頼したんです。
後から近藤先生の書籍を読みながら、放射線治療の選択は悪くなかったし、抗がん剤だけ余計だったとわかりました(苦笑
そしてその後は検査等、何もやらないのに限る、というのも完全にはできていませんが、ここ半年は実行できていると思います。
むしろ、抗がん剤治療をして無駄に免疫力を下げることなく、こうしてここまで元気で暮らせていることに今は感謝しています。