こんにちは、デリコです。^^
今日は子宮頸がんを告知された時の話をします。
この時点では、まだステージはわかっていませんが「あなたはガン患者ですよ」と太鼓判を押された日とその直後のことです。
まえおきとして・・・
私の場合は、子宮頸がんステージ3で診断も治療もアメリカでの話です。やった治療自体はスタンダードと言われる標準治療ですが、日本ではすぐに手術となる傾向にあるという印象です。でも、実際には、手術も放射線治療も抗がん剤治療も自分で決められるということを心の片隅において、最後は自分で治療のやり方を決断する助けになれば嬉しいです。^^
事故は突然やってきた
2019年の10月某日。引っ越しから1か月経ったくらいの頃に、一家で夫の運転する私の車で正面衝突事故に遭ってしまいました(涙
しかも、相手が19歳の若い女性で、居眠り運転でした。
生きているといろんなことが起こりますね(汗
引っ越す前に住んでいた場所付近の用事を済ませて、帰りに夕飯でもどこかで食べて帰ろう!と車内で話していた矢先の出来事でした。
レストランまでものの5分とかからないくらいのところで(涙
その日から、生活が一変します。
一番重症だったのが背骨を骨折し手術になった私
これから寒くなるという時期で、景色もなんだか物悲しい様子に変っていく時期でした。
幸い、奇跡的に事故では相手も、こちらも死者は出ず、軽症、背骨の骨を骨折して手術をした私が一番重症でした。
相手の女性なんて、直後外に出て立ってスマホで誰かとしゃべってましたからね。
それでも、事故直後から手足のまひやしびれなどなく、元気に動かせたのでそれも不幸中の幸いだったと思います。
ERに運ばれた翌日に手術をして、その2日後には退院しましたから。アメリカってすぐに退院させられます(汗
セラピストもびっくりレベルですぐに歩けるようになった私は、退院は早い方だったのかもしれません。
あまり痛がらないのもびっくりされました。
勝手に子宮の異常が見つかる方向へ進んでいった
そして、そんな中で、実は、ERに運ばれて最初に受けたレントゲン検査から、子宮の様子がちょっと気になるので、専門ドクターのところへ行くようにと言われました。
でも、そんなこと言われたって、
まだ背骨の手術したばっかりだし、まずは背骨が落ち着かないと婦人科なんて行ってられない
そう思ってましたよね。
ところが、婦人科の腫瘍専門ドクターが、手術の翌日とその翌日に、早朝に、わざわざ私の病室にきて「先にMRIを撮りましょう」と言ってきたんです。
ドクターのオフィスがどうやら私が入院した病院と近かったようです(後でわかったのですが歩ける距離でした)
なんだか慌てているなぁ、と他人事のようにその時は思ってました。
夫も軽傷とはいえ、事故の当事者ですから、家でゆっくりしてもらいたかったので、病院は完全看護ですから、泊まりの付き添いはこなくていいと断っていましたので、夫に相談してから決めますね~と1日目は濁していました。
でも、翌日またやってきたドクターは、「保険会社がカバーしないと言っているので検査は今はできなくなりました」と断りを言いに来ただけでした。
(この保険会社が私にとっての救世主になったことは後でわかります。)
結局、退院から2週間後に彼女の診察を受けるようにスケジュールが組まれていることが退院時にわかりました。
ドクターの診察を受けてから告知まで
そして、退院後、やや落ち着いてきたころに、婦人科と腫瘍の専門医のところへ診察へいき、細胞診と触診をしてもらい、MRIやPET検査の予定を入れて帰ってきました。
もしかして悪性の疑いがあるのかな
となんとなく思いながらもあまり気にせずにいましたが、その二日後に、運命の電話がかかってきました。
ドクターから直々にでした。
悪性であることは間違いないので、きちんと予定している検査を受けてくださいね
要は、その念押しの電話でした。
英語が堪能ではなく、急いで話すドクターの英語なんか、完璧に聞き取れるはずもありませんから、「がんなんですね?」と患者がわざわざ念をおして聞き返すしかなかったのです(涙
私の子宮頸がんが確定した瞬間でした。
頭の中は一瞬真っ白になりながら、心臓だってドキドキしました・・・まいったな、と思ったのが最初です。
すぐに我に返って
こりゃ大変なことになった。ずいぶん早かったわね。
と頭で思いながら、すぐに夫に電話をかけて伝えました。
「ドクターにあなたにも電話してもらえるように頼んだから」と告げて電話を切りました。
「大丈夫?家に帰ろうか?」と仕事先だった夫が言ってくれましたが、大丈夫、と断りました。
子宮頸がんの告知を受けた私が取り掛かったこと
自分でも、不思議なくらい冷静で、泣くこともなく
とにかく治して生きなくちゃ。
としか考えてなかったですね。
そこから、検査とその後のドクターの診察までの2週間あまり、情報を集めまくり、読みまくりました。
それはもう一心不乱とはこのことか、というくらいに。
黙々とタブレットで読みふけっていたので夫も一切声をかけられないくらいだったようです(汗
- 子宮頸がんの治療方法は何があるのか?
- ステージ別には何か違うのか?
- 化学療法以外で生き残っている事例
- 化学療法で生き残っている事例
- 化学療法は受けるべきなのか否か?
この辺りのことを自分の中でしっかり落とし込んで納得する必要がありました。
元々、ガンになる前は、化学療法にかなり否定的な立ち位置でいました。そう考えてました。でも、本当にそれでいいのかどうか、もリアルにがん患者になった今、追及する必要があるように思えたのです。化学治療をやるなら、副作用はどんなものなのか? 不安だったし、知りたかった。
そして、一方で、
誰にまず病気のことを話そうか
と迷いに迷っていました。
またどう話したらいいのか、も悩んでいました。
がんになったのに、私はそれでも周りを気遣う余裕があったんです。ほとんどの人から「そんなこと考えなくていいんだよ」って言われましたけど、私にとっては大切なことだったんでしょうね。
日本にも大切な家族や友達がいますからね。
誰にどのように話すことにしたのか、また誰から話して言ったのか、などは長くなるのでまた別の機会にお話ししますね。
病院嫌いの私だから事故でがんが見つかるハメになった
そんな風に、取り方によっては「事故のおかげでがんが見つかった」と言ってもおかしくない状況でした。
なにしろ、病院は嫌いで、医療業界もあまり信用していない私ですから、子宮の検査は不快極まりないし、今回のように強制されない限り、どんどん後回しにして、発見が遅れていたに違いないからです。
不正出血の記事で詳しく書いたように、あそこまで症状が出てたって、病院へ行かなかったのですから(汗
なので、交通事故と言う形で、神さまが強制的に無理矢理ERに搬送したんでしょう(苦笑
・・・にしても、手荒すぎるよ、神さま・・・
事故でがんが見つかった私が言えること
検査をやらなくても、見つかるときは見つかるもんだと後から思いました。
ただ、子宮頸がんは、ワクチンや検査で未然に防げるがんではあるので、検査はやっぱりちゃんとやった方がいいと今は思ってます(苦笑