電話でほぼ悪性腫瘍(がん)に間違いないという告知は電話でドクターから直接言われました。告知の際の詳しい話はこちら
夫に電話し終わって、さぁ、大変なことになったと思ったのは一瞬で、次の瞬間には
[char no=”2″ char=”デリコはてな”]どうやって治して行く?[/char]と心は切り替わってました。
まだこの時点では、正式な告知ではなく、検査とその後の診察まで10日ほどあって、まだ標準治療は受けたくないと思ってました。
本当はがんじゃなかったりして、と写真の検査前だったので、そんなことも思ってました。
[char no=”1″ char=”デリコ通常”]私の場合は、子宮頸がんステージ3で診断も治療もアメリカでの話です。やった治療自体はスタンダードと言われる標準治療ですが、日本ではすぐに手術となる傾向にあるという印象です。でも、実際には、手術も放射線治療も抗がん剤治療も自分で決められるということを心の片隅において、最後は自分で治療のやり方を決断する助けになれば嬉しいです。^^[/char]なぜ、自分は子宮頸がんになったのか
まずは、「なぜ子宮頸がんになったのか」を探って自分なりに納得しなければ、とリサーチしました。
大抵のドクターはこの質問に答えられないか、言葉を濁すと言われています。(もちろん、そうではないドクターもいます)
逆に、良いドクターを探すのなら、その質問をしてみるといいですね。(ちなみにデリコの主治医は「言葉を濁した」ドクターです(苦笑)
最初からわかっていたものや調べているうちに分かったものもありました。
・子宮が冷えていた
・血液の汚れ
・血液の滞り(代謝が悪い)
・運動不足
・睡眠不足
・食事の偏り
・遺伝的なもの
順番に意味はありません。
それまでの知識とリサーチで思いついたことです。
ただ「生活習慣病である」というのは間違いないと考えてました。
子宮頸がんの場合は、ウィルスで感染しますが、大抵は自己治癒するそうなので、がん化したのは自分の生活習慣に何らかの原因があったと考える方が自然です。
告知前はアンチ標準治療だった私
母も父も、同じくがんでまずは手術をし、放射線治療や抗がん剤治療をしても再発、その後も治療しましたが、その甲斐なく他界しています。
母は大腸がん、父は食道がんです。
がんは生きる気力を失わせる
という価値観を持ったのはこういった身の回りのがん闘病の末、亡くなった人を見送ってきたからです。
そして、石原結實(ゆうみ)先生、船瀬氏や近藤誠先生、ムラキテルミ氏などアンチ抗がん剤派の情報ばかり取り入れてきました。
余命◯ヶ月からの生還的な標準治療が受けられなくても生き延びてるケースを知る
そういうわけで、まず調べまくったのはアンチ標準治療派の情報です(笑 もちろん、10年以上生き延びているケース。
この際に注意したのは、
①医師の免許がある
②がん患者を診ていた経験がある
両方満たしているか、①だけでもオッケーとしました。
最初はネットで情報を探し、次に書籍を探しました。
つまり、標準治療を受けずに治す方法をまずは探りました。
免疫療法や代替療法の類のものですね。
食事療法もかなりリサーチしました。
結局、いろいろ調べたものの、現実的にできそうなのは、食事療法など自宅で組み合わせて生活に取り入れられるものでした。
代替療法もいろいろありましたが
・ビタミンC大量摂取療法
・抗がん剤を糖質と一緒に注射する療法
なら、標準治療ができない時の助けになりそうでした。
ただ、アメリカでやるには、費用面が大きな壁となりました。
なので、この段階では、まだ「標準治療しかないのかな・・・」という状況でしたね。
代替療法のがんサバイバーの方の書籍は実はあまり読んでいません。ほぼ食事療法的な本が多かったというのもあります。
大抵のドクターが書いた本に治った症例が載ってましたので、それで十分でした。
また残念ながら、子宮頸がんの方の本はほとんどありませんでした。症例も他の部位のがんに比べると驚くほど少ないです。
標準治療を受けて生き延びているケースを知る
この「標準治療で元気になった体験談」的な情報がなかなか見つかりませんでした。
できれば、元患者さんのリアルな体験を知りたかったのです。
[char no=”3″ char=”デリコ困った”]さらに、アンチ標準治療の気持ちが強くなりましたよね。[/char]ドクターの本だけではなく、元患者さん本人の書籍や情報を探しましたが、唯一参考になったのはお一人だけでした。
高山知朗さんという方で、脳腫瘍の発症から悪性リンパ腫、白血病と3つの大きな病気を乗り越えて今もお元気にしています。^^
この方の本が、治療の決断の後押しをしてくれた理由の一つと感じてます。
決断の決め手となったもの
標準治療も部位やステージや状況によっては、有効なモノもあるとアンチ抗がん剤のドクターも必ず言ってる場面がありました。
数年前に亡くなった小林麻央さんのケースやスティーブ・ジョブズ氏のケースが頭をよぎりました。
麻央さんもジョブズ氏も最初にがんだと分かった時に
という共通点がありましたね。
どちらも最初に見つかった時には、そこまで進行していなかったがんだったとも言われています。
なので、応急処置的に、がん細胞を大人しくさせるために、標準治療が必要な場合があるんだな、というのが私が出した答えです。
もちろん、私の状況がまさにその状況である、という判断です。
その方の書籍を読んだおかげで、極端な意見に惑わされず、バランスの取れた意見を知って決断できたと思います。
アンチ標準治療派の意見も、納得できる部分はたくさんありましたが、肝心なところがうやむやで「がんが完治した!」ことだけにフォーカスしている内容も散見します。
余命の概念も人それぞれですし、信用する人、気にしない人、というのでも予後や生存年数も変わってくると私は思っています。
ちなみに、筆者の高山さんとがん家系に生まれついたという共通点があって、がんになるまでの思考がそっくりだったのです。
とにかく、診察ギリギリまでかかって
[char no=”1″ char=”デリコ通常”]標準治療と他の免疫療法などを組み合わせた統合治療でがんと向き合い、そして治す[/char]という考えにまとまりました。
ステージ3と告知された後はその場で治療をやることに同意して帰ってきた
実は、告知を正式に受けた時、夫は涙ぐんでました。
ドクターに
[char no=”2″ char=”デリコはてな”]治療をすればどのくらいの確率で治るのでしょうか?[/char]と聞いたところ、治療をしたら治る確率は60%と言われた時です。
私はその時、治る方の2人に1人になればいいのね、と思ったので涙も出ず、何故か冷静でした。
もっと冷静に裏を返せば、2人に1人は治らないのか・・・と思ったでしょうからね。(⇐夫はたぶんこっち)
だって過酷な治療なのに100%じゃないわけ?!ってことですから。
だから、どこまでもおめでたい思考の私だったのです。
夫は泣いてたし、ただ事ではない事態を前に
[char no=”3″ char=”デリコ困った”]治療は受けねばダメか・・・[/char]と半分観念して治療に同意したって感じです。
患者本人って意外と冷静なものです。
年齢的なものがあったかもしれませんがそれでもまだがんになるには早い年齢だと自分では思ってましたしね。
もう子供を産むとかない年齢だったのも幸いしました。
また、治る、治す自信というか「絶対生きのびる」決意もあったのかなと思います。
でも、本音は
[char no=”3″ char=”デリコ困った”]ステージ4とかで治療法がないです、って言われた方がよっぽどラクだったのに・・・[/char]と一瞬よぎってしまいました。(ステージ4の方に申し訳なさすぎですね)
でも決めたからには
[char no=”1″ char=”デリコ通常”]治って今後20年は生きる[/char]という前向きな気持ちで臨まないと治るものも治らないよね、って思ってました。
治療までの1ヶ月はさらにリサーチとがんを大人しくさせる実践をスタート
標準治療を選んだからと言って、当然それだけで治るつもりはなかったです。
元々、標準治療をやらずに済ませる気持ちもあったくらいですからね。
私自身の自然治癒の力を可能な限り引き出したい!と本気で思ってました。
決断後、治療が始まるまでやったこと
1ヶ月ほど時間があったので、まずは
・半身浴
はスタートしようと思って、さらにリサーチしながらやってました。
さらに、強化したのが
・にんじんりんごジュース(1日一回から2回に)
新たにスタートしたことは
・塩分制限(途中でほぼ中止)
・糖質制限
・1日1食(途中で失敗に気がつき中止)
・野菜、果物を多く摂取
・早く寝る
・呼吸法や瞑想
・ミネラルやビタミンのサプリ摂取
・イメージ療法
・神頼み
・家族や友人への報告
これらのどれがこうを制したかは、わかりません。
そもそも治療の中盤くらいからほとんど食べられませんでしたから。
継続できたのはジュースと睡眠くらいです。
治療後は、回復に合わせて、この中のほとんどは今も継続しています。
ちょっと変更を加えたものもあります。
ただ
[char no=”1″ char=”デリコ通常”]治療がドクターもびっくりレベルで大成功をおさめたのに、少なからず貢献したかな[/char]と思ってます。